三国志ブランド「赤兎馬」がおくる三国志Tシャツ、三国志グッツの専門店「三国志ショップ赤兎馬」
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このコーナーは三国志を知らない方や三国志についてまだ初心者だと言う方の為に
三国志とは何かと言う簡単な解説をしているページです。
◆三国志とは
◆正史?演義?三国志じゃないの?
◆史実と事実について
◆年表
日本でも多くのファンを持ち現在では漫画にゲーム・アニメにと様々な世界に広がっている「三国志」
特に知らないと言う方でも書店やゲームショップなどで1度は目にした事があるのではないでしょうか?
三国志は今から1800年も昔の中国を舞台に全国統一を目指した英雄たちの壮大な歴史物語です。
時代で言うと後漢朝末期、と言ってもピンと来ない方も居るでしょう、、、
魏志倭人伝の記述によると、その頃の日本はなんとやっとのどがな農耕生活が確立してきた邪馬台国の卑弥呼の時代です。
未だに日本ではその時代の事が確かに分からず邪馬台国の場所をを探していますが
それと同じ時代に中国では既に文化的に確立していて日本の事も歴史書に記していたんです
その記述をもって日本人は卑弥呼や邪馬台国の事を知ったんです。(他にもあるかも本はあるかもしれないけど)
だから卑弥呼等も三国志の登場人物と言っても良いのかもしれませんね、、、(笑)
どうですか?少し身近に感じてきました?
その頃海を隔てた中国大陸では高祖劉邦が建国してから長く400年間も続いた漢王朝(一般的には前漢と後漢に分かれる)が
崩壊し一世紀にもわたる長い戦乱が始まります。
一つの王朝は数々の群雄が支配する国へバラバラになり、各国の群雄は全国を統一しようと
合戦や謀略・駆け引きなどを繰り返し、弱い物は強い物に支配されやがては魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)の
三国へとまとまって行きます。そこに三国志と言われる由縁が有ります。

その長い戦いの中で多くの魅力的な人物が登場します一人は運命に嫌われ心なし半ばで死んで行く者
一人は人民の為に自分を犠牲にして命をささげるもの、また一人は自分の天命を信じ迷い無く突き進むもの
そんな数々の武将や女性達が織り成す壮大なドラマ、それが三国志大きな魅力といえるでしょう。
三国志の正当な歴史書で事実と認められているものは陳寿の記した「正史」であるとされています
何が正統であるかと言うのは朝廷から歴史書として認定されている所にあります
しかし1800年も昔の事なので正確な事は分からず色々な見解で三国志は語られたり小説や漫画等にされていまが
一般的に流布しているその多くが羅漢中が面白いくする為に書き、
その後講釈や戯曲に書きかえられた「三国志演義」を元に構成されている物が多いようです。
正史と演義の内容的な違いについて、最も違うのは正史は魏を主役(後に魏が書かせた物なのでしょうがない)
にしていて演義は蜀を主役にしている所です。。
演義では正史を元に書かれていながらも正史にない創作とおもわれる
話を面白くする為のエピソードが書かれており、実際にはイナイであろう空想の人物も出てきます。
話としても曹操は悪役とされ、劉備が正義として話は進められます。
実際には他の武将がたてた功績も物語上盛り上げるために
人気のキャラクターである関羽や趙雲などの手柄にされている事もあります。
私の考えですが所詮1800年も昔のことで本当の事がわかるわけではないので
正史も演義も両方三国志だと思ってあまりこだわらず楽しんだ方がいいかな?と思います。(*^-^*)
上記の項目の内容と若干重複する部分もありますが史実と事実についてお話致します。
世の中で歴史として世の中に出まわっている全てが現実に起きた「事実」ではない
歴史とされている物のほとんどは史書を元に伝えられ「史実」であり、歴史家が自分で思っている事を他人にも信じさせようとして
史書にしるした「事実」に過ぎず、史書に記録された「史実」が、必ずしも「事実」とは言えない(近代歴史哲学ではそう教えています)
史家が公平な人で中立である場合でも、伝統的に史家が儒学の徒である中国では
儒教的な偏見が無いとは言いきれないでしょう
しかし伝統的に儒教は中国社会全体の思想ではなく上級、支配階級の思想に過ぎないのです
中国社会の大衆は昔からの道教的な思想を強く持っており、儒教思想の史家の手による史実を
そのまま事実として受け入れている事はあまり無いようです
そんな伝統的に培われた拒否反応的な考え方は現在でも強く残っており
今でも多くの中国の民衆の多くは記録や政府などの広報を素直に信じない風習が残っているようです
| 西暦 | 年号 | 中国 |
| 88 | 章和2 | 章帝が死去し和帝が即位する その皇后の竇氏は摂政となり外戚の竇一族 |
| 92 | 永元4 | 宦官の鄭衆たちの活躍により竇氏は粛清される |
| 146 | 本初元年 | 梁冀が質帝を暗殺。桓帝を擁立し専権を握る |
| 159 | 延(喜)2 | 単超ら5人の宦官の協力により桓帝が梁一族を誅滅する 5人の宦官は封候され政治を私物化 |
| 166 | 9 | 清流派を弾圧する宦官による党錮の禁がおこなわれる(第1次) |
| 169 | 建寧2 | 第2次党錮の禁がおこなわれる |
| 184 | 中平元年 | 太平道の張角が挙兵し黄巾の乱がおこる。 曹操・孫堅・劉備など後に活躍する群雄たちが討伐に参加する |
| 185 | 2 | 黄巾の乱鎮圧 |
| 189 | 6 | 霊帝崩御。少帝:劉弁が即位するも董卓が入京し、少帝
を廃して献帝の劉協を擁立する 曹操は陳留にて挙兵する 大将軍何進は宦官に殺害されるとその部下であった名族袁紹が宦官を粛清する |
| 190 | 初平1 | 董卓が少帝を殺害し、献帝を洛陽から長安移し遷都を強行する 関東諸侯が反董卓連合を組織。盟主は袁紹 |
| 191 | 2 | 袁紹は冀州を掌握、曹操は東郡の太守となる |
| 192 | 3 | 呂布が董卓を裏切り殺害する 曹操が青州の黄巾賊を平定し曹操屈指の精鋭部隊の青洲兵を手に入れる 孫堅、劉表との戦いで戦死、息子の孫策があとを継ぐ |
| 193 | 4 | 陶謙の配下が曹操の父曹嵩を殺害し。曹操 激怒、陶謙勢力下で大規模殺戮 |
| 194 | 興平元年 | 劉備、徐州の牧になる 孫策は袁術の配下になる |
| 195 | 2 | 曹操、呂布を破り報復し領地を取り戻す 破れた呂布、劉備を頼る |
| 196 | 建安元年 | 曹操、荀ケのすすめで献帝を洛陽に迎え、自らも上京し録尚書事となり 許に遷都し、献帝も許に移す。 劉備留守に城を取られ呂布の軍門に下るが、曹操へ亡命 |
| 197 | 2 | 袁術、自ら皇帝を称する。 曹操、張繍の奇襲にすべなく大敗、典韋以下多くの部下を失う |
| 198 | 3 | 曹操、袁術を討ち、下べんにて呂布を破る。 劉備は献帝に拝謁し左将軍に補される |
| 199 | 4 | 公孫[王賛]、袁紹に攻められ自殺。 劉備、徐州を急襲し造反する 曹操、官渡で袁紹と戦う(官渡の戦い) |
| 200 | 5 | 曹操再び徐州を取り、劉備軍はバラバラとなり
劉備は袁紹を頼る。関羽は曹操に降る。 小覇王「孫策」暗殺により没。孫権があとを継ぐ 曹操、官渡にて勝利。袁紹を破る |
| 201 | 6 | 劉備、曹操に敗れ劉表のもとへ逃走 |
| 202 | 7 | 袁紹没する。袁家分裂 |
| 203 | 8 | 孫権、江夏へ遠征 |
| 204 | 9 | 曹操、袁尚を破り河北を平定し事実上河北袁家は崩壊 |
| 205 | 10 | 曹操、袁譚を破り青州を平定、袁尚、袁煕は烏丸族へ逃亡 |
| 206 | 11 | 袁家、最終勢力壊滅に至る。 |
| 207 | 12 | 曹操、烏丸を討伐 諸葛亮、劉備の幕下へ(三顧の礼) 袁家滅亡。 |
| 208 | 13 | 曹操、丞相に就任 劉表没。荊州劉氏、曹操に降伏 劉備、長坂で大敗北。 趙雲、単騎で劉備の子「阿斗」を救う 劉備、孫権、赤壁にて20万の曹軍を破る(赤壁の戦い) |
| 209 | 14 | 鳳雛の「ほうとう」、劉備の幕下へ。 劉備、荊州の牧へ。 |
| 210 | 15 | 周瑜.、病死(享年36歳)。後継は魯粛 |
| 211 | 16 | 曹操、馬超・韓遂連合軍を破り漢中平定 劉璋に迎えられて、劉備、益州へ入る |
| 212 | 17 | 劉備、劉璋を攻撃。 荀ケ急死。(享年50歳) |
| 213 | 18 | 曹操、魏公となる。 |
| 214 | 19 | 劉備、益州成都を制圧 ほうとう戦死。(享年35歳) 馬超が劉備の配下へ加わる。 伏皇后・伏完一族、曹操により殺害 |
| 215 | 20 | 曹操、五斗米道の張魯を破り、解散命令 孫権、合肥にて大敗 |
| 216 | 21 | 曹操、魏王となる。 魯粛死去。(享年46歳) |
| 219 | 24 | 劉備、漢中王となる。 関羽・関平、呉軍に荊州を攻められ斬られる。 荊州は孫権の封土へ |
| 220 | 黄初元年 | 曹操没(享年66歳)後継は曹否へ 曹否、漢の献帝から禅譲を受け帝位に就任(漢帝国滅亡へ) 魏帝国成立。洛陽に遷都 |
| 221 | 2 | 劉備、漢朝の継承を宣言し昭列帝となる。諸葛亮な丞相へ 張飛、配下に殺害される 劉備、弔い合戦に孫権討伐軍をおこす。 孫権、呉王になる |
| 222 | 3 | 孫権、年号を黄武とし呉国を建国 馬超死去(享年47歳) 劉備、陸遜の火計にて大敗。白帝城へ帰還 |
| 223 | 4 | 曹丕、呉へ出兵するも濡須にて大敗、曹仁没 劉備死去(享年63歳)劉禅、2世皇帝へ、実権は諸葛亮 |
| 225 | 6 | 諸葛亮、南蛮(南中)へ遠征し孟獲を破り平定 |
| 226 | 7 | 曹丕没。曹叡即位(明帝) |
| 227 | 大和元年 | 諸葛亮、出師の表を上書。北伐に向かう |
| 228 | 2 | 馬謖、街亭を守れず。魏に大敗。 孔明泣いて馬謖を斬る 諸葛亮丞相辞任。 |
| 229 | 3 | 呉の孫権、帝位につく。建業に遷都 |
| 231 | 5 | 蜀が4度目の北伐、諸葛亮、司馬懿を破り名将が戦死 |
| 234 | 青竜2 | 諸葛亮・司馬懿、五丈原で対峙 諸葛亮病死、(死せる孔明生ける、仲達を走らす) |
| 237 | 景初元年 | 公孫淵、遼東にて独立宣言。第4の王朝成立 |
| 238 | 2 | 司馬懿、公孫淵を破る。 魏国に倭国の卑弥呼より朝貢。返礼に金印 |
| 239 | 3 | 明帝(曹叡)没。曹芳が即位。 |
| 241 | 正始2 | 呉蜀連合軍、魏へ侵攻 |
| 244 | 5 | 陸遜没する。 |
| 246 | 7 | 魏軍、高句麗を占領。 魏、蜀領漢中に侵攻するも早々に撤退 |
| 249 | 嘉平元年 | 司馬懿、クーデターを起こし実権を握り、丞相となる。 |
| 251 | 3 | 司馬懿没する。長子の司馬師が大将軍に。 |
| 252 | 4 | 呉の孫権没する。(享年71歳)孫亮が即位 |
| 254 | 正元元年 | 司馬師、魏帝曹芳を廃して12歳の曹髦をたてる。 |
| 255 | 2 | 毋丘倹と文欽、司馬師に反して挙兵 蜀の姜維北伐 司馬師急逝。(享年45歳)後継は弟の司馬昭 |
| 257 | 甘露2 | 魏の大将軍、諸葛誕が大規模な反乱 呉、諸葛誕に援軍。 |
| 260 | 景元元年 | 魏帝曹髦がクーデターを計画するも失敗 曹髦、司馬昭に殺害。後継に曹奐が即位 |
| 263 | 3 | 鐘会・とう艾、蜀を攻撃。劉禅、戦わずして降伏。 蜀が滅亡し三国時代終焉 |
| 264 | 咸煕元年 | とう艾反乱容疑で断罪 鐘会・姜維が反乱するも共に戦死 司馬昭が晋王となる。 呉皇帝孫休没。孫皓が即位 |
| 265 | 秦始元年 | 曹氏、司馬氏に禅譲。魏王朝滅亡 国号を「晋」とする。 司馬昭逝く。新帝には司馬炎は即位 呉が建業から武昌へ遷都 |
| 266 | 2 | 呉、再び建業へ遷都 |
| 274 | 10 | 曹芳没する。 陸抗没する。 |
| 280 | 太康元年 | 呉帝孫皓が降伏、呉帝国滅亡 晋が天下統一 |
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